炎の縁・人の縁

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第1章  片道切符で東京へ


「東京へ行こか」

 その老人がきた日の夕刻、私は、誰に言うともなくつぶやいた。老人の何気ない一言が、私の衝 動を促した。

「ほんま?」

 側で東野が、嬉しそうに振り向いた。

「チキンラーメンを二十個ほど買(こ)うてきて」

 彼が買い物に行っている間に、作品を集めて、一個一個を新聞紙で包み、段ボール箱に入れてお いた。最後にチキンラーメンをワゴン車に積み込み、日が暮れるころ信楽を出発した。

 出発して間もなく、

「東京へ行っても大丈夫ですか」

 東野が、うつむきかげんで話しかけてきた。闇は人間を不安の世界へ引き込むのかもしれない。

「先生の財布の中は、今日売れた七千円だけでしょう? そこからチキンラーメンを買うてきたか ら・・・・・・」

 彼の声はしだいに小さくなっていった。

「大丈夫や。なんとかなる」

 強がりを言ったものの、どのように計算しても、行きだけのガソリン代しかなかった。有料道路 を通ると、それだけで財布はパンクしてしまう。夜の国道一号線をトラックと競争しながら東京へ 急いだ。



 記憶の奥に眠っていたものが、欲求となり憧れとなる。憧れは次第に夢となる。はかなく終る夢 もあれば、現実となる夢もある。

「古伊賀・古信楽」は夢だったのか。

 人は言う、幻の伊賀、幻の信楽、と・・・・・・。

 後戻りもできない中で、覚悟を決めた窯焚きが始まり、そして終わった。

 窯の温度が下がるのももどかしい。中を見るのは怖い。が、早く見たい。震える手を焚き口から 差し入れ、作品をしっかと掴んだ。掌に熱気が伝わってくる。そうっと引き出した。かなわぬ夢と 思いはじめていた「古伊賀・古信楽」が手の中にある。まぎれもなくこの私の手の中に。掌に伝わ る熱気をとおして喜びの波が全身に伝わってきた。昭和四十九年春、夢は現実となった。



 そんなある日、一人の老人が私の陶房を訪ねてきた。

 陶房というと聞こえはよいが、足場丸太にトタンを張り付けただけのわずか三坪の掘っ建て小屋 だ。中の半分がロクロ場で、残り半分には貰ってきた古畳が敷いてある。

 私が陶工になって以来、夢に描き続けていた「古伊賀・古信楽」を自然釉によって再現したの は、この老人の来る一ヵ月前のことだった。狭い小屋のこととて作品を陳列する場所もなく、縁の 下に、無雑作に置いていた。その中から気にいったものを探し出してきては、一点一点念入りに見 ていた老人が、

「私は伊賀焼や信楽焼、それに備前焼など無釉の物が好きなので、こうして窯元を歩いては作品を 見せていただくのが唯一の楽しみになりました。

 この伊賀を見てみると、烈しい焦げとビードロによって表現されている景色は、強烈なものです ね。あなたの個性がそのまま出ているのでしょうね。

 いま初めてお会いして、個性などというのはおかしいかもしれませんね。

 失礼なことを言うようですが、この仕事場を拝見すると、それほど余裕があるとも思えませんも のね。生活をも顧みず焼物に打ち込んでおられるのだな、と推察してあのように言ったのです。

 私はもう隠居の身ですから、欲しいと思っても買うだけの力はありません。せめて記念に、この ぐい呑みをいただきましょう。私はあなたの作品が気に入りました。この作品を東京へ持っていく 気はありませんか。多分受け入れられると思いますよ」

 老人が帰った後も、「東京へいかれれば」という言葉が、頭から離れなかった。

 以前から私は、東京へ行きたい、と思い続けていた。地方、ことに田舎に住む者にとって、東京 という言葉には、不思議な響きがある。東京へ行くことを上京というが、その昔、戦国武将が京の 都に抱いた感慨も、このようなものだったのかもしれない。東京を中心に、政治経済はもちろん文 化、芸術、ファションまでが地方へと流れていく。それはちょうど、静かな池の水面に小石を投 げたときに生じる波紋と同じだ。その波紋の強さと広がりは、東京からの距離に比例している。信 楽に住む私の関心も自然、西の方角より東に向いていた。



「これが憧れていた東京か」

 東の空が白らむころ東京に着いた。おんぼろのワゴン車を東京駅の広場にとめた。スモッグに霞 むビルの群れ。早朝のためか、人通りはほとんどない。東京駅構内の各店のシャッターは閉められ、 静まり返っていた。予想外に静かな東京に第一歩を記したのは、昭和四十九年初夏のことだった。

 駅の構内で公衆電話を探し、職業別電話帳を繰って、陶器と茶道具の店の住所と電話番号を控え た。初めての所で行くあてもない者にとって、電話帳だけが頼りになる。控えた店の住所を道路地 図に書き込んでいく。さすがに東京だ。一通り訪問するだけでも、何日かかるかわからないほど沢 山の店がある。まず、渋谷と青山近辺を回ることにした。

「こんにちは、信楽のこういう者ですが」

 私は、名刺を差し出した。

「私どもの店では仕入れの業者が決まっていますので・・・・・・」

 せめて作品を見てくれればとの願いもむなしく、この一言だけで店主は忙しそうに動きまわって いた。何処へ行っても同じだった。訪問を重ねていると、作品を見てくれるところも出てきた。だ が、買ってくれる店はなかった。

 日が西に傾きはじめていた。中学を卒業すると同時に弟子入りしている東野の表情に、不安の色 が見える。

 ――この前の窯に命を賭けてたんや、それが成功したんやから、何とかなる。

 ――そやけど、片道のガソリン代だけでは無理やったかな。

 ――いやいや、何とかなる。

 ――もし売れなんだら帰ることもでけへん。

 心の中で煩悶すればするほど、強気の虫が弱気の虫に喰われていく。

 ――やっぱり無茶やったかな。

 日が沈むにつれて、心も沈みがちになっていく。彼に気付かれないよう平然と振舞っていたが、 純真な彼の目は、私の内心を見透かしていたにちがいない。

 信楽からの走行距離は、六百キロだった。彼が心配するのも当然だ。私のポケットには、たった 一枚の千円札。これではとうてい信楽まで帰ることはできない。

「大丈夫や、心配せんでもちゃんと信楽まで送ってやるで」

 内心では彼と同じように、帰れるかどうか心配になっていた。衝動的に上京したものの、もう少 し時間をかけ、十分な準備をしてくればよかった。片道のガソリン代だけで上京するとは、無茶を したものだ。だが現にこうして、知る人とてない東京にいるのだから、どうにもならない。

 ――なんとかなる、なんとかなる。いままであらゆる修羅場でなんとかなってきたのだから・・・・・・。

 と、一心に自分に言い聞かせることだけが、気持ちを落ちつかせる唯一の手段だった。そして東 野に、

「さあ、帰ろ。また出直してこぉ」

 彼の表情に一瞬、安堵の色が蘇った。

 上京したときと同じ国道一号線を西に向かった。横浜のネオンの賑わいも目にはいらなかった。

 横浜駅を通り過ぎ、保土ヶ谷に着いたころ、まっすぐ行けば鎌倉との道路表示が出ていた。何処 で間違ったのか、一号線でない道路を走っていた。保土ヶ谷で、道なりに右と左に分岐していたと ころを右に行けば一号線だとわかったのは後のことだ。

「大事なガソリンを無駄に使こうたな、その先でユーターンするわ」

 ユーターンをしようとハンドルを右に切ったところで、前方に雑貨屋のような店があり、窓越し に見える数点の花入。曲がりきったところがちょうどその店だった。自動車を止め店の中を窺っ た。竹製品とか、木工製品に混ざって益子焼きの花入が飾ってある。

「花入売ってるで、いこう」

 段ボール箱を抱えて店に入った。中年の女の人がひとり店番をしていた。多分おかみさんだろう。

  「見るだけでよいから作品を見て欲しい」と一生懸命頼んだ。快い返事があった。

「使っている薪はすべて赤松で、穴窯という最も古い形態の窯を使って、九日間焼き続け、釉薬は 一切使わず、自然釉でこのように様々な色を出しています」

 私は、一息で話した。

「なかなかよい作品ですわね」

 気に入ってもらえたようだ。東野の顔にも笑(え)みが浮かんだ。

「それで、これはおいくらですか」

 小さな掛け花入を手にして、おかみさんが言った。

「五千円です」

 心積もりをしていた価格より、相当低めの価格を告げた。それを聞いたおかみさんが、

「私共の店で売っている品物は価格の低いものです。あそこの花入で、千円ですから、仕入れ価 格が小売り価格の五倍もするようでは扱いかねます。申し訳ありませんね」

 信楽まで帰れるかも、という淡い期待も霧散した。

 時計を見ると夜の八時だった。これから国道を走り、陶器店を探してもどこの店も閉まっている はずだ。もし開いていたとしても、買ってもらえるという保証はないに等しい。作品を新聞紙に包 みなおしている東野は、もはや帰れないと思ったのだろう、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

 全部の作品を段ボール箱に入れおわり、おかみさんに挨拶をしようとしたちょうどその時、

「ちょっとお待ちなさいよ」

 と言う声が私の背後から聞こえてきた。店内には、おかみさんが一人だと思っていたので、私は 驚いて振り返った。

 そこには墨染めの衣を着たお坊さんが立っていた。

「先ほどからあちらであなたの作品を眺めさせていただきましたが、なかなか面白いものを創られ る。一度ゆっくりと見せていただきたいので、明日の朝一番に私の寺にいらっしゃいませんか。こ の名刺の裏に地図を書いてあげますから・・・・・・」

 成寿山・善光寺住職・黒田武志と書かれた名刺をいただき、おかみさんと、お坊さんに挨拶をし て店を出た。



       早朝五時に訪問



 店は出たものの、行くあてはなかった。名刺の裏に書いてもらった地点を道路地図で確認した。 その寺のある港南区は、鎌倉の方向に当たる。再びユーターンをし、鎌倉に向かって少し走り、道 路に駐車した。そこで夕食。出発するとき買っておいたチキンラーメンを生のままかじった。水筒 の水で喉をうるおす。

「そうや、明日の朝、あのお坊さんのお寺を探しているんでは遅うなるで、今のうちに探しとこ」

 地図を頼りに車を走らせた。鎌倉街道を南下して港南区に入り、消防署を過ぎたところを左折 し、緩やかな坂を登って行くと、自動車のライトに照らされた日野公園墓地の看板が目に入った。

「ここや、ここや」

 自動車から降りて、細い道を左に入ったすぐの所にそのお寺はあった。懸額には成寿山・善光寺 と書かれていた。

 霊園の前に広場があり、自動車の行き来もない。ここなら静かに寝られそうだった。私たちは毛 布を引っ被って自動車の中で寝ることにした。前の日は一睡もしないで東京まで運転してきた。東 野も、東京への憧れと片道切符では帰れないかもしれないという複雑な気持ちで、ほとんど眠って いなかった。疲れが出たのだろう、話もせずに眠りについた。

 翌朝、五時前に目を覚ました。前夜は十時ごろ寝たので、七時間近く寝ていたことになる。それ ほどの時間眠っていたとは思えない。霊園の入口には、墓地に供える花用の水桶と水道があった。 そこで顔を洗い、

「まだ夜が明けたとこやで、早すぎるやろか。そやけどあのお坊さん、朝一番にきなさい言うてた な。いこか」

 段ボール箱をふたりで手分けして持ち、四、五段の石段を登ると、左手に玄関があった。石段を 登りきるかどうかというちょうどその時、玄関の電灯がついた。

「おはようございます」

「まあ、よくいらっしゃった。さあさあ、さあどうぞ、どうぞお上がりなさい。お母さん、お母さ ん、昨夜話していた紫峰さんが来られましたよ。お茶を持ってきてちょうだい。さあ、さあ、どう ぞこちらへ・・・・・・」

 玄関を入ると、正面にはお不動さんがお奉りしてあった。本堂の左手にある応接間へ私たちは通 された。

「方丈さん、お茶をお持ちいたしました」

「お母さんも一緒に作品を拝見すれば。素晴らしいものだ。さあさあ、早く作品を見せてください な」

 せかされるように私は段ボール箱を開け、新聞紙を解いて一点一点陳べた。そして、この作品が 焼けるまでのいきさつを詳しく話した。(拙著『炎の声 土の声』−日本教文社刊−に詳述)

「そうですか、この作品は穴窯で9日間も焼いているのですか。ここに出ているいろいろな色彩 が、自然釉だといわれましたが、自然釉というのはどういうことですか」

 黒田老師は、色彩豊かな一個の茶碗を手に取り、不思議そうに訊ねられた。

「私は、赤松の薪だけを使って焼いています。薪が燃えると灰になり、その灰と炎が一つになっ て、作品を嘗めるように流れていくのです。灰は高温になると溶けます。炎の動きがそのまま灰の 流れとなって、このような景色になります。

 つまり、一般の焼物で使っている釉薬は全く使わず、粘土で作品を成型したものをそのままの状 態で窯に入れると、こうして釉薬が溶けたような色になるのです」

「ということは、炎と灰と作品が、窯の中で一つになって、自然にこのような景色を出すというこ とですね。
 まさに自然の妙といえますね。人の力の及ばないところの美しさとでもいうのでしょうかね」

 黒田老師は不思議そうな表情で、茶碗を撫で回していた。

「おかあさん、このお茶碗と水指を頂きましょうか。おかあさんの気に入ったものがあれば、それ もいただきましょう」

「方丈さんが手にしておられる、そのお茶碗とお水指がよいですわね」

「それじゃ、今日は紫峰さんとお会いしたご縁ですから、この二点を頂戴しましょう。
 ところで紫峰さん、昨夜は何処で泊まられたかは存じませんが、人間贅沢は禁物です。旅館に泊 まるような贅沢をしてはいけません。まだこちらにおられるのでしたら、今日からここに泊まられ ればよい。また今後、関東方面に来られたときは、この寺を旅館と思って、ここに泊まられればよ い。ねえ、おかあさん」

「そうですよね。何もお世話はできませんが、気楽に使ってください。今日もこちらにおられるの ですか」

「ええ・・・・・・」

「それでしたら、お昼のお弁当を作っておきますので。夜も外食は駄目ですよ。こちらでご用意さ せていただきますからね」

「そのようになされればよい。気兼ねはご無用です。紫峰さん」

 黒田老師と奥さんの優しい言葉に、私はただ一言、

「ありがとうございます」

 こう言うのが精一杯だった。

「朝食のご用意をしますので、失礼してもよろしいでしょうか」

 と言って退室される奥さんに、

「美味しいものを作ってあげてくださいよ」

 黒田老師は声をかけ、

「お部屋をご案内しましょう。どうぞ、どうぞ、こちらへいらっしゃい」

 と、本堂を凹字型に取り囲む廊下を先にたって、案内してくれた。応接間からもと来た方へ戻 り、玄関を通り抜けて本堂の真正面に出た。御本尊はお不動さんだ。合掌、一礼して突き当たった ところを左に折れる。その一番奥の右側の部屋に通された。この日からお世話になる部屋は、応接 間とは本堂をはさみ両側に、ちょうど向い合っていた。

「ここが紫峰さんのお部屋ですからね。今日からこの部屋で寝泊まりなさればよい。食事が出来れ ばまた呼びにきましょう。気楽になさいね」

 そう言い残して、老師は出て行かれた。

 この頃の私は、これという信仰心もなかったが、本堂のお不動さんと老師ご夫妻に向かって合掌 していた。

見ると、私と同じように弟子の東野も、ただ掌を合わせていた。

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